私ともう一人の研修医の二人の指導医だった8学年上の先生は、鹿児島一の名門鶴丸高校出身で、佐世保共済病院から助手として大学に戻ってきたばかりだった。とても器用で、癌、耳の手術もとても上手だった。難しい頭頚部癌の手術を一手に行っていた小宮山助教授が隣の手術室から様子を見に来て、「君は佐世保に行っている間に手術が上手くなったね~」。「九大や長崎大に難しい手術をすべて送るわけにはいきませんでしたので、一生懸命勉強しました。必要に迫られてです。」
先生は小宮山先生に勧誘されて耳鼻科に入局した一人だった。
厳しい上村教授の指導の下、医学部の研究棟で夜遅くまで「めまい」の研究をしていた。入院患者の治療方針で困ったときは、内線電話で、あるいはカルテを持って研究室に走って、指示を仰いだ。
ある土曜日の仕事が終わった夕方、2人で「佐世保」ナンバーの車に乗せていただき、ご自宅に招かれ、優しい奥様の手作りの夕食をご馳走になった。幼かったお子様二人と一緒に食べたあと、朝まで飲んで、管を巻いた。内容は伏せるが、帰りのタクシーの中で「堀先生、結構言ってたよね」ともう一人から言われた。何もわかっていなかった、出来の悪い私たち二人を見捨てずに面倒を見て下さったと感謝している。
上咽頭がよく見えないと話しているのを聞いていた偉い先生が、「額帯鏡では無理だ。腫瘍を見落とすぞ。最初の給料は飲み食いに使わないで、商売道具の“額帯電灯”(電球内蔵で明るい)を買いなさい。」と研修医に半ば強制的に言ったので、皆で注文した。つい一月前に購入した普通の額帯鏡の5倍くらいの価格だった。
“額帯電灯”にはいくつか機種があったが、腫瘍グループの先生は全員、他の先生でも所有者の全員が使用していたのは、“九大笠氏式”というもので、私たちが入局する数年前まで講師を務めていて、アイデアマンだった、笠(りゅう)先生の考案、設計によるものだった。東京の耳鼻科の医療機器メーカーが製造、販売していたが、現在は発売中止になっている。難点は、ポケットには大きくて入らず、手で持ち歩かないといけないので、片手が塞がること。外来、病棟、手術室はもちろん、職員食堂、学生生協食堂、医局、出張先の病院に行くときに常に持ち歩き、置き忘れないようにしなければいけなかった。病院内でカバンを持ち歩いている医者はいなかったが、耳鼻科医であることは誰が見てもわかった。
商品が納入され、早速、主治医の患者の上咽頭を小さな鏡で見てみた。今までよくわからなかった所見が、嘘のようにはっきり確認できた。買ってよかった。
その“額帯電灯”は手術中に床に落として破損した。教授回診の時に従来の額帯鏡を手に持っていた私に、「堀君も額帯電灯を持ってたやろ。どうしたんや?」と小宮山助教授に聞かれ、大学の営繕課に行って相談するようにアドバイスされた。技官の方から「耳鼻科の先生方にはいつもお世話になってるから、置いといてくれれば明日までに直しとくよ。」と言ってもらい、見事に溶接修理していただいた。
新製品はLED式に置換わっているが、私の電球式の“額帯電灯”は今でも大活躍している。
額帯鏡(左)と額帯電灯(右)
基本的な構造は同じだが、額帯電灯の場合、電球が内蔵されていて明るいので、すぐそばの鏡は小さい。ACアダプターにつなぐ黒い電線は軽量化の為細くなっている。ACアダプターは関連病院も含め、耳鼻科の診療ユニットには内蔵されていたが、他科に往診に行くときには持っていく必要があった。
頭に巻いて固定する帯部分の色が違う理由は、当初は頭に馴染む黒色の同じカーボン製(明治の昔は鯨の髭製だったらしい)だったものが劣化して交換した際に、樹脂製に切り替わり、額帯電灯用は白色のみしか製造していなかった為。

