「Bスポット療法について思うこと」を当ブログに書いてから日が経った。
若い頃からやっていることだし、自分では大したことをしているつもりはない。わざわざ遠くから通院されている方もいらっしゃり、ほとんどの人が治癒、あるいは軽快して治療休止していて、先生のところで治療して良かったと喜こんで下さり、医者冥利に尽きる。

先日も、副鼻腔炎による鼻水が原因の上咽頭炎の患者さんが、微熱もなくなり、ダルさがとれて、すっかり体調が良くなったと喜んでいた。以前から悩んでいたとのことだった。
最初にファイバースコープで観察したときに腫れていた上咽頭を触った感じは、粘膜の腫れがとれて、本来の固い上咽頭の所見だった。慢性の上咽頭炎と思われる。

私たちが耳鼻咽喉科医になった頃、ファイバースコープはよほどのことがないと使わせてもらえなかった。たとえ癌の入院患者であっても、保険審査で査定されるからだった。
基本は、額帯鏡を使い、歯科で使うような鏡での視診だった。声帯を診る鏡(喉頭鏡)は大きいので光が多く届き見やすいが、上咽頭を診る鏡(後鼻鏡)は狭いところを診る為直径1cm以下と小さく、暗くてよく見えなかった。
額帯鏡とは、現在ではほぼ耳鼻科の医者しか使わない診療道具で、白熱電球の光を鏡(凹面鏡)に反射させて、中心の穴から効き眼の視線を合わせ、暗い病変部を照らして診察する。サイズが大、中、小あったが普通は中。頭に巻いて固定する帯の部分は伸縮でき、鏡と一緒に折りたたんで白衣のポケットにしまえる。なお、聴診器は持ち歩かず、必要な時にナースのものを貸してもらう。大は白衣のポケットに入らず、持ち運びに邪魔になる。帯の部分を白衣のポケットの外側に出して、鏡の部分を割れないように内側にして白衣に挟んで持ち運ぶ方法もあったが、恰好悪いのと、どこかに引っかかるので誰もやっていなかった。額帯鏡派の教授専用の大サイズが病棟、外来に置いてあったが、鏡を割ったら大変なので、勝手に使う医者はいなかった。

当時、4月はじめにあった国家試験の発表は5月末だった。九大病院では他科も同様だったが、5月の連休明けから、昔のインターンと同じように働き始めた。6月1日付で非常勤の文部省国家公務員に採用された私たち新人研修医は、頭頚部癌の入院患者の主治医になった。指導医の先生に言われるままに行った、喉頭癌の患者さんへの抗癌剤投与と放射線照射が著効して腫瘍が消失し、手術の必要もなく(声が残せた)、やっと退院させることが出来たと喜んだのも束の間で、病棟医長から外来カルテの挟まった何も書いていない入院カルテを渡され、受け持ち患者数はどんどん増えていった。上咽頭がよく見えないと話しているのを聞いていた偉い先生が、「額帯鏡では無理だ。腫瘍を見落とすぞ。最初の給料は飲み食いに使わないで、商売道具の“額帯電灯”(電球内蔵で明るい)を買いなさい。」と研修医に半ば強制的に言ったので、皆で注文した。つい一月前に購入した普通の額帯鏡の5倍くらいの価格だった。

“額帯電灯”にはいくつか機種があったが、腫瘍グループの先生は全員、他の先生でも所有者の全員が使用していたのは、“九大笠氏式”というもので、私たちが入局する数年前まで講師を務めていて、アイデアマンだった、笠(りゅう)先生の考案、設計によるものだった。東京の耳鼻科の医療機器メーカーが製造、販売していたが、現在は発売中止になっている。難点は、ポケットには大きくて入らず、手で持ち歩かないといけないので、片手が塞がること。外来、病棟、手術室はもちろん、職員食堂、学生生協食堂、医局、出張先の病院に行くときに常に持ち歩き、置き忘れないようにしなければいけなかった。病院内でカバンを持ち歩いている医者はいなかったが、耳鼻科医であることは誰が見てもわかった。

商品が納入され、早速、主治医の患者の上咽頭を小さな鏡で見てみた。今までよくわからなかった所見が、嘘のようにはっきり確認できた。買ってよかった。

その“額帯電灯”は手術中に床に落として破損した。教授回診の時に従来の額帯鏡を手に持っていた私に、「堀君も額帯電灯を持ってたやろ。どうしたんや?」と小宮山助教授に聞かれ、大学の営繕課に行って相談するようにアドバイスされた。技官の方から「耳鼻科の先生方にはいつもお世話になってるから、置いといてくれれば明日までに直しとくよ。」と言ってもらい、見事に溶接修理していただいた。

新製品はLED式に置換わっているが、私の電球式の“額帯電灯”は今でも大活躍している。

 

額帯鏡(左)と額帯電灯(右)

基本的な構造は同じだが、額帯電灯の場合、電球が内蔵されていて明るいので、すぐそばの鏡は小さい。ACアダプターにつなぐ黒い電線は軽量化の為細くなっている。ACアダプターは関連病院も含め、耳鼻科の診療ユニットには内蔵されていたが、他科に往診に行くときには持っていく必要があった。
頭に巻いて固定する帯部分の色が違う理由は、当初は頭に馴染む黒色の同じカーボン製(明治の昔は鯨の髭製だったらしい)だったものが劣化して交換した際に、樹脂製に切り替わり、額帯電灯用は白色のみしか製造していなかった為。