書いた人は、私より数年上の学年の先輩です。
「クラスの日」とは、林間学校や修学旅行とは別に、中1~高3まで毎年実施され、クラスごとに好きな場所に宿泊する行事。関東近郊に目的地を決め、大抵は鉄道で近くまで行き、そこからは観光バス。担任とクラスで決めた好きな先生の計2人が引率。うるさい先生はいない(呼ばない)ので楽しかったです。夕食時には、先生達はお酒を飲み始めるので、近くの生徒が酌をさせられます。我々の学年では、食事の後は、宿のグラウンドでのキャンプファイヤーと相場が決まっていて、花火、その後ラジカセの大音量でのカラオケ大会になります。そして宿に戻り、ロビーの最新のTVゲームや、それぞれのグループの部屋を行ったり来たりして、家から持ってきたTVゲーム、ボードゲーム、トランプなどをやってるうちに、何故か誰かが持ってきた、缶ビールやチューハイ、日本酒とおつまみが出てくるといった感じでした。まあ、高校生ともなると、友人の家に遊びに行って泊まった時や、たまには親と家で飲んでいるので、軽く飲もうぜみたいな感じでした。ただし、高2の金沢(私のクラス、神戸と迷い決めた)、京都の修学旅行では絶対禁止でした。酒類を持って行かないように、保護者会でも注意されたそうです。見つかれば即停学。制服がなく私服のため、酔って外出し、他校の生徒とけんかになったことがあったからです。
わが校と同じく、学園紛争で団交の末自由を勝ち取った、学校群制度下で三多摩全域が学区の都立高校トップ「72群」立川高、国立高にも制服はなく、普段からかなり自由にやっていたそうです。立川警察署あたりで開催されたと思われる「多摩地区生活指導担当教員会議」(適当です)に出席した先生が授業中に話していました。「君たちは、女子生徒がいなくて寂しいよね」とも。
クラスの日ですが、前日に深酒した人は、翌日の観光バスの中で辛そうでした。皆が観光するのに、バスの中で寝ていたり。大学生の新歓コンパのように、皆、自分の限界をまだ知らないので、仕方がありませんでした。
まあ、普段は、立川駅前や八王子駅前で、生活指導主任の数学の先生(八王子市民)が勤務帰りに見張っていて、堂々とタバコを吸っていた生徒は停学になりました。後日談ですが、「ウチの生徒だとすぐわかった。見つけた以上、捕まえないわけにはいかないんだよ。」
タバコは別の同級生が、体育のマラソンがきついと言っていて、皆で体に悪いからやめるようにと説得しました。今から思うと、どれだけヘビースモーカーなのかと。喫煙者はほとんどいませんでした。
我々の頃、校名「きりのとも」の由来の東京教育大は既に閉学し(後継となった筑波大は新設大学扱)、東大、早稲田、慶応他出身の新任の先生も着任していましたが、まだ先生のほとんどが教育大出身でした。先生になりたくて大学に入った、生粋の教育者でした。教育者には優秀な人材を集める必要があると、当初文部省は、戦後高等師範学校から昇格した、教育大やお茶大の授業料は免除にしたと、高2と高3(2年間同じクラス。文系理系の区別なし)の「クラスの日」にも引率して下さった、「進路指導主任」かつ私や天才O君のいた数学のクラスの担当だった先生から聞きました。先生方は、自由には責任が伴うという考えのもと、我々を大人として扱って下さったと思います。
早大教育学部の学生だった先輩は果たして、マスコミに行ったのか、教員になったのか。
英語を選んだのは担任の影響が大きいと思いますが、先生になっていたら、恐らくまだ定年前だし、きっとみんなに慕われるいい先生になっていると思います。
かつての紅顔の美少年たち。もう一人は、官僚として高知県在住のため都合がつかず欠席。
悪餓鬼だった8人は、高校卒業時には高偏差値集団(私は除外)となり、東大3人、国立大学2人、医学部3人(うち国立1人)進学した。全員の進学先が決まった時には、吉祥寺で祝杯を挙げた。今では真面目な社会人、父親となり、社会に少しは貢献している。悲しいことに一人が他界した。
(2018年八重洲にて)
(後列お腹の少し?出ているのが私)