ところで、笹月先生が福岡から上京し、大学院生の頃、御茶ノ水駅の総武線ホームからの「幕張行き~」という最終電車のアナウンスが聞こえると、「どこだかわからないが、“さぁ、これから”というサインみたいなものだったよ」と懐かしそうにしておられました。
なお、堀口教授は、日大の同級生(耳鼻科医)の親戚だと、開業してから同窓会で知りました。また、初代医学部長は、私の父の東大皮膚科の先輩(留学中私たち家族と米国ボストン市で生活)の父親で、電気泳動法による蛋白質の解析で著名な生化学者でした。
あまり行なわれなくなった他の理由として、塩化亜鉛の調合には手間がかかるわりに、薬剤費がとれない、つまりサービスの治療であることも関係あるかもしれません。
もっとも、新型コロナが流行する前からですが、最近の若い(必ずしもそうとは限らないが)耳鼻科の先生の中には、患部を見るだけで鼻の吸引もしない、のどに薬も塗らない、耳管通気療法もしないところがあるらしいので、内科に行った方がいいのではないかと思います。手技に限らず、「できない」のと「(この場合、危険だから、必要ないから)できるけど、やらない」のとでは全く次元が違います。
研修制度も違うし、時代が違うと言ったらそれまでですが、昔、私たち耳鼻科研修医は医者になって3か月で、教室からの正規の派遣として、福岡市内だけではなく、北九州(黒崎や門司)、筑豊、唐津、熊本の公立病院などに交代でアルバイトに行きました。絶対遅刻はできないので、朝は早かったですが、ガラガラの九州自動車道、接続している北九州都市高速道路などを覆面パトカーに追尾されないように注意して飛ばし、病院の駐車場に到着。仕事を終えて、教授回診のない日には慌てて戻る必要もなく、帰りは門司港から関門海峡、壇ノ浦を眺め食事をし、日帰り旅行気分でした。気持ちを切り替え、自分が主治医の入院患者さん(ペアを組んでいた同級生が診てくれています)の待つ大学に戻りました。
それまでに、鼓膜切開、上顎洞穿刺洗浄、扁桃周囲膿瘍切開、耳管通気、生検まで一通りマスターしてなければ行かせてもらえませんので、先輩の指導の下、必死に患者さんを治療させていただきました。