昨年、京都大学免疫学の本庶 佑名誉教授がノーベル医学生理学賞を受賞しました。誠におめでたいことです。
TVのインタビューに答えて、「教科書を信じてはいけない」という趣旨の発言がありました。
私も若い時に免疫学(免疫遺伝学)を学んだのですが、最初は(今も)何もわからず、日本語で書かれた、本庶先生をはじめ日本を代表する免疫学者らの執筆、監修(つまり助手や院生が執筆)した本はもちろん、英語で書かれた教科書(更新が速い)は、研究室には一冊しかなく上級生が持っていくのかすぐ無くなり、バイトで貯めたなけなしのお金で買って読みました。
その当時、どの教科書にも当然のように書かれていた現象が、数年後には完全に削除されました。実験の方法そのものが間違いだったということです。研究室の先輩たちが、そのことと関連した論文を一流雑誌に投稿しても、「お前は頭がおかしいんじゃないか?」とのコメントとともに、reject<掲載拒否>されて、追加実験をして、あるいは、考察を書き直して、他誌に投稿してaccept<掲載受諾>になり、大学院が「修了」になるか、「退学」になるか、あるいは「留年」(臨床教室の人事上実際はほぼ不可能)するか、がかかっていて、苦労していたのは言うまでもありません。大学院には「卒業」はありません。
私の時は、やっと笹月教授から論文を書いてよいと言われ、何日も徹夜で書いた論文を見てもらおうにも、さっきまでいたはずが出張に出かけた後。「夜なら時間があるからいいよ」ということで滞在先のホテルにFAXで送ることが多く、添削されて送り返されてきました。同級生も皆、帰りの飛行機の時間を秘書から聞き出し、教授室の隣のセミナー室で待ち構えていました。何度も書き直しした上で、「これでいこう」となりました。少しでも早く投稿した方がいいからと、真夜中に博多郵便局からEMSでドイツの一流雑誌に投稿した結果は残念ながらreject。落ち込む私に、「審査員の頭が悪くて、我々の言っていることが理解できないだけだから、気にするな。論文を落とすときは、徹底的に貶すものなんだよ。時間がないから早く別の雑誌に投稿しようよ。」と慰めていただきました。教授のアドバイスに従い、何日もオールナイトで実験したデータを削除し、身を削る思いで論文の内容をコンパクトにして書き直し、米国の他の雑誌に投稿しaccept。発表会場の手配、研究科委員会(医学部および生医研の全教授で構成)全員分の別刷の準備、生医研事務室と医学部大学院係への書類の提出などに追われ、期限内に学位審査を間に合わせることができました。
何とか臨床に戻っても、先輩たちが苦労していた否定された現象を、耳鼻科の学会ではまだ信じている人がいて、堂々と実験結果を発表、論文を掲載(まともな審査員がいない)していることに驚きました。